篤く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり。

『十七条憲法』真宗聖典963頁

今日、世は文化の花ざかりであり「昭和元禄」という言葉も言われてすでに久しい。こ れにこと寄せて「コロニア元禄」という言葉すら聞かれる。なるほど世は華かになり、開 拓初期のつつましい生活をふり返ってみるときまことに隔世の感があるであろう。 然しそれでそのまま我らは、今日「幸せ」であるかどうか。むしろ、生活文化を追うのあまり、 心安き日とてなく徒に心急かれ追い立てられている毎日である。何者かに押し流されている我が身であり、 依って立つべき「場」を持たない私である。 その私に帰依所を明らかに示されたお言葉こそこの「篤敬三宝」である。「篤く敬う」といって、 ただ敬うだけならばいわゆる敬して遠ざかるの類であろう。敬うとは真に頂戴し、 これに依って行く道を知らしめられ、この道を進ませていただくこどでなければならない。 「それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉れるを直さん」。仏のみ教えによらずしては、 迷いを迷いと知らず、惑いを惑いとも知らない私である。その私に胸を痛められ、 ついに立ち上らずにいられなかった、み仏の止むなき大悲のお心によってのみ、 私の道は開かれ心強く歩ませていただくのである。

2006年8月5日