世間は、虚仮にして、唯、佛のみ是れ真なり

〔『天寿國曼陀羅繍帳』より〕

仏教といえばとかく"暗いもの""湿っぽいもの"と考えられて居り、 とくに浄土教ともなればすべてが悲観的であり厭世的なものであるとされて、 今日ではおよそ時世にそぐわないものと考えられているようである。 もともとわれらは“暗いもの"“湿っぽい話"は嫌であって、“明るいもの"“たのしいこと"を好む。 しかしそれを願えばこそ真面目に本当の相を見つめなくてはならない。もの の相をごまかすことなくあるがままに見ていく。・・・正しく受取っていく。・・・それには、 仏の教えに依らなくてはならない。 本来ものすべては次々と移り変っていくのに、われわれは執着して悩み、 うわべのたのしみに耽ってほんとうの落着きを持たない。 そしてうつろい崩れ去っていく出来事にふりまわされて、 いたずらに嘆き、一時のたのしみで紛わそうとする。それを流転の生(本当の 落着きを得ることはできないでただオロオロとしている生活)と教え「世間は是れ虚仮なり」。 因縁によって仮りに生じ、すぐに移ろうて、ついに滅すと示してくださる。 その仏のおことばこそ真実であり、そこから、わが行く道を見出していくことによってはじめて何ものにも執われず、 いかなる出来事にも対処し、どうなろうとも乗越えていける力強い歩みがはじまるのである。 そうした目覚め(自覚)は仏のみ教え(真実のことば)によってこそ知らしめられるのである。

2006年8月5日