随想その三
ひとつの句読点

しかし明日へ・・・

・・・今年の「あとがき」

12月も半ばを過ぎるとなにやら心せわしいものを感じる。否応なしに今年も終るので ある。 毎年のことながら、取り返せぬ後悔と恥しさを抱きながら今年もまた年を送るのである。 わたしは、ついに斯くありつつ終るのかも知れない。 しかし、今年は年々の繰言をやめて、ここでひとつ今年の「あとがき」を綴ることにしよう。 この秋はずいぶん旅に出る機会に恵まれた。 まず十月初めに、特伝のご用を承わって宮崎地方に五日間、特伝の座においてのお話とい うことで、いささか心重いものを感じていたけれど、早くも秋の気配を漂わせている日向路の旅は こころのふるさとに立ち戻ったような安らかさと童心を呼びさまして呉れた。

日向路に秋の七草かぞえゆく 緑南

それもさりながら、このたびの役を縁として、われ自身をみつめることができたことを 喜ばせていただいたのである。 示されたテーマ「われらは何を拝むのか」を私自身えの「問い」と受けとめたとき、わ たしは、わたしなりにこのように頂いた。「われら」と、広く皆と共にと考えているところに 姿勢のゆるさがあるのではあるまいか。ここに「私は」とまず姿勢を正さねばならない。 によきぎょうしようえぶくロ 「汝起更整衣服」(汝・起ちてさらに衣服を整え・・・)との『大無量寿経』のおことばが 思いだされる。, そして、それは「今」である。「於汝意云何」(汝が意において如何)『阿弥施経』。・・・い ま、あなたは何を思っていますか。

如来の問いは、まさしくこの私えの問いであったのである。 (昭和53年12月)

2006年9月6日