歴史にたずねる
・・・今年の「まえがき」
去年の秋十月、本廟奉仕・研修の後、関東に足を延して親鷺聖人ご教化の跡を訪ねた。わ ずか二泊三日の旅だったのでどれほども廻ることができなかったけれど、それでもあらま し親鷺聖人のお足跡をたどることができて、年来の宿願を果し得たことは、こよなき喜びで あった。 もっとも、巡拝の旅とはいっても、わが手足を運んでのことでなくしてマイクロバスに よっての一巡なので横着も甚しい次第であったと、いまにして恥しい。 聖人ゆかりの地に立ってあらためて祖師のご苦労のほどが偲ばれつつも、何か言いしれ ぬ寂しさを覚えたのは何故であったろうか。由緒、来歴のみが伝承されていて、さて、現 在の内容(なかみ)は?とたずねてみたとき、わたしは無性に寂しかったのである。「風化」 ということばが思い出された。折角のお法も長い年月と時代の変遷に晒されて風化してし まい「空しく」「歴史」の上にのみあぐらをかいて坐りこんでいるとしたら、これはわたし 自身のすがたでもある。そう思い至ったときわたしは標然として襟を正す思いがしたこと である。それだけに原始教団といわれる関東のゆかりの地をたずねたことの意義の深さで あろう。 ここに 、わたしは国元・甑島のことを思い浮べた。 むかし、"念仏禁制"というきびしい島津藩の制圧のもとに文字どおり身命を賭して守り 伝えられたご法義が、その遺跡が山野に埋れ風化してむなしくなっていくすがたのとおり、 人びとの胸からも、薄れゆく今日わたしはあらためてご先祖の「願い」に思いを馳せる。さ きの鹿児島別院ご輪番武宮礼一師が「宝は掘り出せ」とおっしゃったおことばが思いださ れる。因襲のみが承けつがれ習俗だけに終るとしたなら、ご先祖がたの願いは空しいといわ ねばならない。年忌法事が大切にいとなまれ命日の申経が申し受けられても、その内容(な かみ)が受けとめられていないとしたならば残念なことである。 今日、「佛事の習俗化」ということがいろいろ論議されているが、単に習俗のみに終るか どうかはひとりひとりの願いによるであろう。なかにはせっかちに「習俗切捨」論にはし る人もあるけれども、世に「習俗」として定着するまでに強く働いていた何らの力があっ た。それは「まこと」なるものを受止めこれを後世に伝え残したいという先人の「願い」 であったと、わたしは窮がう。それゆえにこそ、今日わたくしたちは改めてこれまで残さ れてきた「習俗」の内容(なかみ)をたずねなくてはならない。 関東のご開山さまご化導ゆかりの地に立って、そぞろわたしの胸に去来したものはこう した感懐であった。 まことに「宝」は掘りだされねばならない。 いたずらに空しく埋れていては「宝」はついに「宝」とならないのであるから・・・。 (昭和54年2月)2006年9月6日