佛・世に出でたもう
こどもの頃に習いおぼえた歌を思い出した。
花を咲かせて野山を染めて
花咲ぢいさん花のなか
お花まつりがうれしゅうて
四月八日はやっとせのせ
いろいろの花が野山に咲きそろう四月ともなると、宗祖親鸞さまのご誕生会、お釈迦さ まの降誕会とうれしい日がつづく。 花咲ぢいさんは、その喜びで野山を花で染めた。 み佛のみ教えが世に弘まったすがたを讃える歌のこころであろう。それはみ佛にお会い できた私たちの喜びでもある。佛さまを見たてまつることのできたとき、この世は美しく 荘厳される。 それならば親鷺さまとわたくしと。お釈迦さまとわたくしと。どこでつながるのであろ うか。 親鷺聖人は、釈尊ご出世の意義を「唯説弥陀本願海」と見出された。弥陀の本願が頂戴さ れたとき「親鸞一人がために」と、釈尊の生涯をかけてのご説法をわが身のうえに領受せ られ、佛、世に出でたもう本懐を聞きひらかれ、そこからご自身の「人」と恵まれた大事 に目覚められた。 わたしもまた弥陀の本願が聞きひらかれるときはじめてお釈迦が世に出でたもうた意義 が明らかとなり、それは昔の出来事・遠いお人としてでなく、今日、わたくしのうえに立 ちたもうのである。「今日世尊・・・」と五度び重ねて「今日」とある『大無量寿経』のおこ とばが思い合わされる。 このおいわれをうけたまわるのも、親鸞聖人ご出世のおかげによる。親鸞聖人のご誕生 もまた、そのご生涯をかけてのご教化をこの身のうえに頂かれたときはじめてわたくしに とって深い意義があり、かけがえのないお方としてご縁がつながるのである。わたくしに とって親鸞聖人ご出世の本懐もまた「唯説弥陀本願海」であったと頂戴するのである。 このたび同朋会のテキストとして『宗祖親鸞聖人』が示されたことは、まさしく親鸞聖 人が世に出でたもうた意義をたずねていこうとの願いであり、それは、またわたくし自身が このたび人の世に生をうけたことの意味をたずね明らかにしていくことに外ならないであ ろう。 親鸞聖人は「人間」という文字の左訓に「ひととうまるるをいう」とお述べになってい られるというが、この、人と生まれたことの意義の深さをわたくしたちは真面目に考えて いるであろうか。このテキスト『宗祖親鸞聖人』の第一章は親鸞聖人のご誕生の章からは じまっている。誕生といえば、今日個人の誕生日の祝いが広く行われるようになったけれ どただ単に生まれた日だけを祝って「人」としていのちをたまわった深い縁と生涯をか けて明らかにしていかなければならない筈の大切な『願い』には思いをいたしていないのであ る。 今年またお迎えした釈尊降誕会、親鸞聖人ご誕生会を機会に『宗祖親鸞聖人』によりつ つそのご生涯の歩みをたずね、そこからわが身のねがいを聞きひらいていきたいと思うの である。 (昭和54年4月)2006年9月9日