文の日に
やはり手紙ですよ
筆不精さん・・・


近頃とんと筆不精になったわたしに、このことばは痛い。 「その後、とんとご無沙汰勝にて申し訳ございません」。書出にはいつもこのようなお詫びの ことばから始めねばならないのがまづ心重く感じられて、ついご無沙汰と、果しなく悪循 環していくのである。 そこで、今日はそうした挨拶は抜きにして気の向くままに筆を進めさせていただきましょう。 この島に着任してまる四年を過ぎました。もともと船が苦手なわたしは離島と聞かせれ た途端しりごみする思いでしたが、世にいわれるように「住めば都」で今では結構落着い ています。世間的には辺境の地といわれ、不自由なこともありますが、そろそろ年令も年 令だし、わたしにとっては適わしいところだと思っています。 たまたま機会を得るままに長崎の地を離れて渡泊したわたしは爾来「故郷を失った男」 となったようです。ブラジルに在るときはエストランジェーロ(ポ語・異邦人)と呼ばれ、 十五年ぶりに日本に引揚げてきたときはさながら「今・浦島」の悲哀を感じ、いまでも時 折、長崎方面を訪れてみても、何かそこに隙間風の吹きぬけるような感じを覚えます。これを 裏返してみれば、いまに故郷えの恋情のなさしめるところかなと、ひとり苦笑しています。 考えてみれば、人はみなさすらいの旅なんでしょう。. 遇々のご縁いただいて、いまこの地に居さして貰っている・・・。極言すれば「何処の馬 ともわからぬ」このわたしをようこそ置いて下さっているものだなあと思います。だから わたしは「一生、この地に骨を埋めるまで」などと奇麗ごとはいわないことにしています。 言えることは「、こ縁頂けている間は・・・」とより外はないようです。 それだけに、この地での「今」を大切にしたいと思います。 思えばこれまでにずいぶん多くの人に会うてきました。そして別れてきました。それは また、多くの方々に限りなくお世話になりッ放しであったということでもあります。そのわ たしがいまここにこうした「場」を与えられ、しっとりと落着いた環境の中で分相応の勤め をさせて頂ける・・・。有難いことです。 毎朝のおあさじの法話のつとめは何ともしんどいことながら、これによって、これまでに 「話しつ放し」になっていたものをいま一度わがうえに受けとめてみることによって、わ れと確めさせていただく得難いご縁だと思っています。 この会報を書きつづけることも、これまでの締めくくりをつけるつもりで、自分なりに せい一つぱいやっていくつもりです。いろいろのテーマの下に折々の感想を綴りながらわ たしは胸の中であの人・この人。かつてお会いしてお別れしてきた方々との思出を偲んで いるのです。その方々に心の中で「わたしはわたしなりに、こうして懸命にやっています」 と呼びかけながら・・・。 いわばこの「会報」を書いていくことが、わたしとしてはごぶさたのお詫び労々、せい 一つぱいのお礼状なのです。 先ずは近況お知らせまで。ではあなたもどうぞお大事に・・・。 (昭和54年5月)

2006年9月12日