念佛には無義をもって義とす
『歎異抄』(第十章)真宗聖典630頁

鹿児島に来て間もないころ聞かされたことに、ここでは「義をいうな」ということばが あるという。いかにも封建的なお国ぶりだとおどろいたものだが、「封建的」とだけで片付 けてしまうには、いま一つなにか考えさせられるものがあるとおもう。 もともと人はそれぞれに立場をもつ。何かに依らずしては立ってゆけないのである。何 に依るかは人おのおののことであるが、何に依ろうとその根底は「わが身いとし」である。 そのためにはつねに「われ」の存在を主張していかなくてはならない。声を大にして自己 主張しなくてはわが身の立つ瀬がないようなおもいに駆られる。 ことに年令をとるにつけて、いよいよわが影うすしとの焦りをおぼえる。焦りは僻みとな り頑固さとなってますます他人さまから疎んじられていく。「亀の甲より年の功」と。せめ てここらが最後の砦としがみつくのであるが、それすらも自分から言い立てることはまこ とに「年甲斐もない」次第なのに。
思えば、美しく年令とっていくということはたいへんなことである。 だが気付いてみれば、そうしたわたしは、そのまま今日生かされているのである。まった く許された存在としかいいようがない。

如来本願のなかに、「許されて」「生かされて」いるのである。

ここにおいていまは何の「義」をもうすというのか。いまここに「無義をもって義とす」とは「義をいうな」とで はなくて義をいう必要すらないということであろう。 鹿児島でいわれる「義をいうな」とはおそらく「万事任せておけ。責任はわれらが負う」 ということであろう。 「先意承問」との『大無量寿経』のお言葉が思いだされる。このおことばを「先づこころ して問いを承まわれ」と頂かれた先師のお話を聞かせていただいたが、その、「問い」とは 如来のわたくしえの「問い」である。わたくし自身の出世本懐が問われているのである。 そしてそれを先立って明かにしてくださっているのが如来の「本願」である。 いまは「義を言わず」して「こころして」ひたすら「問い」をうけたまわっていきたい ものである。 (昭和55年8月)

2006年10月15日