初盆

今年はわたしも身近な人、二人の初盆を迎えた。久留米の義妹と、長崎の本家の従姉と の二人である。 ガンとの闘いに三月あまり呻吟した義妹は、新築したばかりの我が家でのくつろぎを楽 む間もなく、年齢もまだ五十代、世にいう「まだまだの年齢」であったし、長崎の従姉は わずか四・五日の病院生活であまりにもあっけなく逝ったときく・・・。 加除の一生は誰れの来歴をたずねてみてもみなドラマチックでないものはないといわれ、 わけても女の一生は古来多くの文学作品にもとりあげられ、洋の東西に遺されている。 さきの二人は、それぞれに環境は異なるにしても、女として、妻として、母として、お なじく哀歓きわみなきものであったろうと察せられる。 従姉の葬儀の折、本寺・妙行寺の総代さんから頂いた弔辞のなかに「長い、長い間まこ とに、ご苦労さまでございました」とのおことばがあったが、ほんとうにこの一ト言に尽き る。この一ト言だけが、いま亡き人に捧げ、また受けていただける言葉であろう。 わたしはこの弔問を聞きつつ、弔辞に参じられて、亡き方の枕もと近く深々と頭をたれ て「まことにご苦労さまでございました」と、この一ト言のみを述べられたという、さる お方のお話を思い出し、その深いお心をあらためて味合うていた・・・。 いまここに初のお盆を迎えて申させていただくことも、また、この一ト言のみであろう。 亡き人のご苦労が偲ばれ、そのご恩が頂かれるところに亡き人を「亡き人」とせず。生・ 死の別を超えて「いま、ここに倶に在り」との「出会い」があるのであろう。 (昭和55年8月)

2006年10月25日