人の善を匿すこと無く、悪しきことを見ては必ず匡せ

『17条憲法・第6』真宗聖典964頁

われわれは己れの悪を庇うに温かく、他人の悪を裁くに厳しい。己れの善を誇るに忙しく、 他人の善を賞むるに吝である。他人の善行を聞いて心から称揚できないのは何故であろうか。 己れの誇りたく思っている善行が、真のものでないことを知るが故に、他人の善行にも難をつけたがるのである。 しかし、諸仏は相互いに称揚讃嘆せらるると聞く。真なるもの、善なるものを素直に称讃 できることが、すでにして仏の徳なのであろう。 他人の悪を誹ることによって我れ独り尊しとするならばすなわち邪見僑慢である。 これを正しうするにはまづ己れがつつましK悪を臨してかからねばなるまい。 枉るを直くするもの・・・。それは仏道を擱いて外にはない。 へつらい、詐くものは、国家を覆すものであり、亦、かだみ、こぶる者は、 上に向っては下をざんし、下に逢ううては上の失ちを誹謗る。これ大いなる乱れの本となると、 この章(17条憲法・第6)において懇ろに誡めておられるが、そこに我・人一同に仏道に依るべしとのお諭しが仰れるのである。

2006年8月6日