我れ必ず聖に非ず、彼れ必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。

『17条憲法・第10』真宗聖典965頁

「共に凡夫ならくのみ」。・・・お互いに凡夫ですね」といわれる。 われわれはよく凡夫という言葉を使うけれど、真に自覚に立ったうえから言うことばで あろうか。多くは投げやりな気持ちからであり、時にはとうかいするために使う。若しくは変 に居直った心である場合でもある。いづれにしても素直に心から頭を下げた言葉ではない。 それは裏を返せばすなわち私の「邪見」がいわしむる言葉なのである。そこには相手を 尊び謙虚に頭を下げる素直さもなければ、相手を包み労る雅量もない。したがって他人を 裁き、己れを善しとする僑慢な心のみである。 そこには到底「和」の世界が展げる筈もなく、お互いに傷つけあう修羅の世界であろう。 ここに仏の教えに遇うとき、われとわが心を見せしめられておのづからなる懺悔があり、 そうしたわれらを痛みたもう如来の大悲を仰ぐとき、ただただ頭をうなだれずには居られな いつつましさに立ち返らしめられるのである。 そこからはじめて「凡夫」ですと素直な言葉も出てきて自分が許容されている有難さが いただけて「共に凡夫ならくのみ」。お互いさまでしたと手を取り合っていく世界が展げて くることである。

2006年8月6日