法のことば
法語カレンダー領解
昭和56年度
君子は独りをつつしみ
念仏者は独りをたのしむ

「小人閑居して不善をなす」ということばがある。われわれは人目がないとどのような 不埓なことをもしでかす。だいそれたことをやるほどの度胸もないがとても「独りをつつ しむ」などとはいかない。やはり「君子」なればこそであろう。 今日は人は皆それぞれ「孤独」だといわれる。語り合い睦み合い扶け合うていくことの ない、ばらばらの生活である。あるものは自己主張と、啀み合いと。まさしく闘諍堅固の 世である。これは厳密に言えば「孤立」であって「孤独」ではないといわれる。「独生・独 死・独去・独来」とすでに経典にあるごとく、「独り」とはわたし本来のすがたである。こ の「独り」なるわたしのうえに遠い古からの呼びかけがあった。わたしのところまで到り とどいた念仏の歴史である。法の真実がわたしの先祖をとおして今「われ独り」というと ころに聞かれてくるのである。それは深く願われているこの身ということである。そこに 「独り」であることに安立できる。 かつて聞かせていただいた言葉が思い出される。 おおぜい居てしずか。 ひとり居て賑やか。 多勢居ても犇き合うのでなく、それぞれに己が分限を知り互いに敬愛していく世界は和 かであり、いと静かな世界であろう。 そしていま如来の願心に包まれてある身はつねに心通ってひとりなれども賑やかな世界 である。ここに回信の友があり、それら多勢の人々に支えられている身のかたじけなさで ある。 肩肘張って「独り」を誇示するのでなくして「独り」のわたしをつつんでくださる如来 の願心に満足させていただくのである。「独りをたのしむ」とは、こころ静かに如来の本願 に耳をかたむけていくすがたであろう。そしてしずかな喜びどはまた深い喜びなのである。 昭和56年・1月稿 昭和61年・4月改稿

2006年10月27日