随想その五 第二章鹿児島県・甑島にて 埋火(うずみび)

テレビのコマーシャルに面白いのがあった。ある夫婦の会話。女房がたずねる。料理の 味加減をである。「ン?」。亭主はおもむろに首を振る。「ウーン」。女房は再度味の調節に とりかかる。今度は?と目でうながす。「ウン!」。ここで大きく肯ずく。「ウン!」と女房 も安心する。

これだけのやりとりである。纏ったことばのやりとりはない。ただ肯ずきあいだけであ る。亭主の望むところを見てとった女房の自信と満足のほどがうかがわれる。何とも素晴 らしい会話である。永年つれ添うた夫婦なればこそである。 ここでわたしは或る若夫婦のことを思い出した。ブラジルの開教使として勤めている一 人の友のことをである。彼は縁あってブラジル二世の女性と結婚した。好き合うた同志の 結婚である。仲睦まじいことはいうまでもない。その彼が愚痴をもらした。奥さんが三日 にあげずたずねるのだそうである。「ネエ。わたしを好き?いまでも・・・?」。その都度ちゃ んと返事をしなくてはいけない。「好きだよ」と。だがこのことばを口にだすのはわれわれ 日本で生まれ育ったものにはどうも苦手なのである。彼は人一倍真面目な性格なだけにそ のところの困惑がわかる。「しんどいことだね」と同情したものである。 「人間はことばの要る世界だなア」とつくづく思ったことである。だが、このことばがス ムーズに取り交わされるということはきわめて難事である。たいていの場合われわれの用 いることばはもっぱら自己主張のみに止まっている。一方交通である。そのうち、ねんご ろにことばを使うのが憶劫になる。「無言」と無言。だがこれは「まだおれの気分がわから ぬのか?」どいういらだちと、「どうせわかってもらえないのでしょうね」という拗心のい わば背中合せである。「ことばの通じない世界」である。今日われらの生活はまさしくこれ である。「承問」の耳を持たないくらしぶりが省りみられる。

「先意承問」。このことを私は「先づこころして問いを承まわる」と頂戴する。二一「それはあ なたにとって何なのか?」とたえず問われているわが身を知らせて頂くのである」との先 師のおことばを思いだす。

われらはとかく「問う」立場に立ちたがる。問い承まわるのでなくして責めていくここ ろである。(向うさまのことばを)「聞こう」としないのである。心素直に聞くことのでき る身でありたいとおもう。

なにごとによらず「仕事」にうちこんでいる人はだれもいう。仕事そのものがたえず語 りかけてくれる。教えてくれると。仕事はそのまま道であり、教えとなってその人たちは 大きく育っていくのであろう。「聞く耳」持っていればこそである。 女房のいうことを聞いていくことはこれまた難事である。語り合うことの難しさをさき に述べたが、むしろ聞きとっていくことのむずかしさがさらにである。 聞きとり合えるようになったとき、おのずから「ことばの要らない世界」が開けてくる のであろう。

埋火やことば少なき老夫婦 緑南

わたしがひそかにねがっている「わが夫婦像」である。 (昭和56年1月)

2006年10月28日