筍 二題

ブラジル移住の初期のころ、日本人が筍を食べるのを見て現地の人たちはびっくりした という。伸びるに任せ自由にはびこらせて、おうように眺めてすごしていた彼らにはすご く貧林女なものに感じられたのであろう。だがその頃、農奴としてギリギリの暮しの中にあっ て、それはのっぴきならぬ生活のてだてであったという。 このことを聞いて、わたしはむかし飢饉のとき"木の根""草の根"を掘って食べた話を 思いだした。これもまた切羽詰ったところの生活のてだてであったろう。 だが思う・・・。本来のいのちを抱いて出てきたものを片ッ端から摘取って食べてい く・・・。やはり人間の貧林立さであろう。

凝った床柱や変った趣向の花器に四角の竹が使われている。聞くところによれば生い立 ちの頃四角い枠をはめて成長させて「四角な竹」を「作る」という。本来丸ッこく育って いるものを人間の勝手で「四角」に作りかえていく・・・。これはまさしく人間の横暴であ ろう。
わたしはこの四角の竹を見たとき、その工夫に感心する前に、なんともやりきれない思 いを抱いたものである。

床の下に顔をだした筍のために、畳を取除け席をゆづって部屋の片隅でニコニコとその 成長ぶりに相好をくずしている良寛さまの笑顔が思いうかべられるのである。 (昭和56年5月)

2006年10月28日