医道・四弘誓願

菩薩の総願として「四弘誓願」がある。総願。仏道に志すもののひとしく願うところの ものである。

衆生無辺誓願度。
煩悩無数誓願断。
法門無盡誓願知。(又は学)
仏道無上誓願証。(又は成)

(洗蔵館・刊『真宗新辞典』)

菩薩とは真実の法を求めて立上るもの。仏道に志し真実の願いに目覚めるものである。 その願いの歩みとしての表白である。

この四弘誓願をおのが従事する医道の上に具体化して、ここに「医道・四弘誓願」とし て掲げ、その実践に心がけていられるお方のお話を開かせていただいた。大阪回生病院、 副院長。村山長一氏その人である。

疾病無辺誓願療。
病因無盡誓願断。
病理無量誓願学。
医道無上誓願成。

「釈大眉和尚につくってもらい、日々の心の糧にしている」と語って居られる。そして「医 者としての私のすべてですが、ここまで行くには」と、あとは明るく笑って居られる。 これこそ仏の教えをわが生活の定実践していられるすがたである。しかも、いささかも高 ぶることなく「・・・まで行くには」と頭をかきながら笑って居られるであろうお姿が 察しられて、いよいよ真摯な願いと、絶えずわが身を省みていられる心情が偲ばれてまこ とに奥ゆかしい。
誓願を掲げるということは、それによってわが身が照し出されることである。その照し だされたわがすがたを素直にみとめるとき、「叶わぬ身」とすてるのでなくして、おのれが「分 限」を知り、おのれが「分限」をつくす。実践があるのである。ここに氏の笑いの明るさがあ る意う。おのれが分限を知り、分限をつくしていくものの明るさである。それかあらぬか、 氏の傍らに次の短冊がかかっているという。

おたがいにこうなるまでのしゃばづとめ
ドクロ二つに秋の草花二茎。
宿なし故・沢木興道師の筆になるものだそうである。 (昭和56年9月)

2006年10月28日