海荒るる日に

今年もまた海荒るる季節となった。 南国鹿児島というものの、本土を離るること40キロ、東支那海に浮ぶ甑島の冬は凄い 寒風にさいなまれるのである。昔からいわれるように「寒い北風、冷たい西北風」。大陸か ら吹きとうしてくる風のきびしさは、暖かさに慣れっこのわれわれをふるえあがらせる。 岩を噛む怒涛に向かっていまわたしは、北海の地に流罪の身となられた親鷺聖人のお姿 を偲ぶ。

初めて「海」に対せられた聖人の感慨の深さはいかばかりであったろう。お書物の中に 数多く見受けらる「海」になぞらえてのおことばがそれを思わせる。果を知らぬ海の広さ に人の世の旅のはるけさを思い、底知れぬ海の深さに己が罪業の深さを見つめていかれた であろう。荒れ狂う波の猛々しさに愛憎違傾きわまりなきわが姿を見つめ、万物を受け容 れて一味となしていく海の働きのうえに如来の大願業力のお働きを仰いでいかれたことで あろう。
ひるがえっては「常没常流転」のわが身の生きざまが知らしめられ、そこにあらためて 人間生活のかなしさと、「生きる」こあ「生臭さ」(どうもうまく表現し得ないが、いわ ば奇麗ごとで済まされな生の問題)にふれて、自分の生きざまのうえに「仏法」がどう 関わってくるのかを深く考えていかれたのであろう。聖人の仏法の受けとめの深さは、ご 自身の罪業の受けとめの深さと握つこのことは、この北陸の海のほとりでのお暮らしの 中からおのずと深められていった思惟であり、如来本願えの深い頷ずきであられたのであ る。

生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける

『高僧和讃』龍樹章。真宗聖典490頁

このご和讃にこめられた聖人の無限の感懐を、わたしはいま海荒るるこの日、しみじみ とおもわせていただくのである。 (昭和56年21月)

2006年10月28日