如来ははてなき大悲をもって 迷える人をあわれみたまえり

如来以無蓋大悲、矜哀三界。『大無量寿経』真宗聖典7〜8頁

迷いにある者は迷いを知らない。夢にあっては夢を知らぬごとくにである。夢より醒め てはじめて夢であったことに気づく。迷いより覚めてはじめて迷いであったことを知る。 慧眼、真を見るお方を如来(仏)と申しあげる。如来は慧眼を以って一切のものを明ら かに見、迷える者に迷いなることを知らしめたもう。それは大悲のおこころより出てたる 切々たるお呼びかけである。 ここに「三界」とは欲界・色界・無色界であって、経済的視野に立って見る世界。芸術 の世界。主義思想に拠るものを指す。いづれも相対的世界であって、われらを繋縛するも のである。これらのものに繋縛されている生活を迷いといい、流転という。この繋縛より 解き放たれおおろかな世界に身を置くとき、はじめて一切のものに生かされてあることを知る。 如来を自在人とも申しあげるが、その自在えの第一歩は目覚めることにある。 われらの迷闇を打ち破ってくださるものは、実に如来の大悲を以ってのお呼びかけであり、 本願の念仏である。 1972・10・16

2006年8月8日