女人非器

女性・仏性

「女人非器」とはむかしからいわれている言葉である。男女同権を謳う今日、女性にとっ ては甚しい侮辱として怒りを買うかも知れない。 現に日本内地において、さる仏教青年会の席で、一女子青年から抗議が出され、果しな い論争となったことがある。しかしこの時の結着は、やはり女性からの一つの発言であっ た。 「私は女としての身体を持つが故に、やはり、男以上に罪深いと思わずに居られません。 女の生理の悲しさを通して、私はそれを感じます。」 このことばを聞いたとき、粛然としてことばを失ったのは、むしろわれわれ男性側であっ た。 男は男なりに、女は女なるがゆえに、入知れずわが罪業の悲しさを思わずにはおれない であろう。そこに大悲同感したもう如来のおことばを仰がずにはいられない。 「女人非器」とは女性蔑視のことばではなくして、ひとしお哀慰したもう如来の涙を以っ てのおことばなのである。 (1972・3・1)

2006年8月8日