女人成佛
「女人成仏」といえば、反射的に「女人非器」という言葉が思い浮かべられる。かって私は このことにふれて「女人非器とは女性蔑視のことばではなくして、ひとしお哀愍したもう 如来の涙を以てのお言葉なのである」と申しておいた。 昔から女は殊に罪深く浅間しいものであり、五障三従と決めつけられ、全く度し難いも のとされていた。「女人禁制」とて、霊域に入ることすら差止められていたものである。こ れを皮相的にみれば、悉く女性を卑め、反面男子が優越感を持っていたかのごとくである。 ひとつには往年の社会制度の歪みにも原因していたであろうし、儒教での観かた考えかた、 もしくはその受取りかたに、多分にそうした傾向があったのではあるまいか。 外典のことはさし擱いていま改めて仏教のうえから女人をいかに見られたかをたずねて みればやはり厳しいものがある。 そもそも釈尊は女人の出家をなかなかにお許しにならなかったといわれる。そのお心は 私ごときが窺うことはできないであろうけれど、やはり女の性(さが)として言訳けのつかないも のがあるであろう。 蓮如さまの「お文」の中にもしばしば女人の往生の問題に触れていられるが、そこに一貫 して流れているものは「女人は罪深く、疑いのこころ深き」ため「十方三世の諸仏に捨て られたる身」であり、畢竟弥陀の本願に依らずしては、ついに女人の助かる道(法)は無 いと懇に教えられた。しかしこうしたお諭しもまた女人を低く視てのお言葉ではあるまい。 すでに女人の為に救いの門戸が開かれてあったればこそのお言葉であり、それまで女人を 近づけなかった聖道諸教に対比して「女人成仏」を世に示された御親切に立っていられる のである。 いま、更に遡って頂いてみるに天親菩薩の「浄土論」に「女人および根欠、二乗の種、 生ぜず」(真宗聖典136頁)と述べられている。ここに「女人」とは単に性別ではない。 個人的、関心の深さを指すことばであろう。小さな目前の幸せに満足したり、また気根の 欠けたる者、思慮の桟い者、或は愚痴ッぽい者等々挙げて行ってみればなにも女性に限ら ず、男性にもまた多分にそうした性情はあるのである。さきの言葉にある「二乗」とは「声 聞」「縁覚」であって、これは仏法を求めるがその求めかたが仏法的でなく、個人主義的な 求めかたをする者である。 今日私どもは個人主義に走り、およそ大乗的見地に立ち得ないわが身を省みるとき、男 性は男性なりに罪深き身と思わずにはいられないのである。蓮如上人の「御文」にいわれ る「五障三従」というお言葉についても、私はさきに「男の身勝手から押しつける言葉で あってはなるまい」と述べたことであるが、これまた女性への侮辱ではなくして、女性に ほんとうの自覚を与え、また女性をほんとうに知られたお方のおことばなのである。 王舎城の牢獄の中にあってひたすらみ教えを請いたてまつった韋提華夫人に対して、お 釈迦さまが先づおっしゃった「汝はこれ凡夫、身想贏劣(しんそうるいれつ)なり」とのおことばを改めて頂戴 しなくてはならない。すなわち女人は生れられない(成仏しない)とは、自力をもってし てはというのであって、女人のほんとうの救いは女人から超えるところにあるということ である。 女人成仏を示された経典として「勝鬘経」と「玉耶経」とがありまた龍女は8才にして 得脱されたとのお話も聞くことであるが、これ勝鬘夫人、玉耶女、さらにはいまの龍女、 いづれもまことに機根すぐれた方々であり、「仏在世の権者」(存覚・決智紗)であられ、 尊くも自から得脱して行かれた上品の方々として仰がれることであって、なまなかな男性 の及ぶところではない。すでに男女の性別を超えた上品の菩薩と申さねばなるまい。 ひるがえって私どもはわが身の姿をとくと見させていただかなくてはならない。「わが身 を知る」ということであるが、これまた実に仏法に依らずんばである。み教えに遇わない かぎり私は私自身を知ることすらないのである。私を取巻く環境のあらゆるできごとにひ きずられて困惑し迷妄していくわが身、空しく流転していくこの姿を「地獄一定」と示さ れる。この言葉は私自身から見出た言葉ではなくして実に如来より賜わりたる言葉なので ある。「自身は現に是れ罪悪生死の凡夫」と、いま「現」のところに立って遙かなる昔より 尽きることなき未来までかけてついに「出離の縁無き身」と知らしめたもう。ここに如来 の切々たる慈愛があり、かかる私を見捨たまわぬ大悲のお心から流れ出でたものが如来の 本願であったのである。 弥陀の本願が説き出された因縁はいわゆる「王舎城の悲劇」によって開かれた。釈尊が 霊山法華の会座を没して王宮に降臨して韋提華夫人のために教えをたまわった。そのこと すがた こそ弥陀の本願がわれら人間に生きてはたらいてくださる相であり、私にとって念仏が頂 戴される唯一つの機縁となったのである。 釈尊の御ン前において自ら瓔珞を絶ち身を投げ伏して教えを請いしかもなお凡情を離れ 得ない韋提華の姿は、そのまま私の姿であるが、そうした姿を私にかわって示してくださっ た韋提華夫人は、まさしく私にとっては大権の聖者として仰がれ、王舎城の悲劇に連なる すべての人々もまた如来の矜哀のあらわれとして、ひとしくお導きの方々であると親鷺聖 人は尊とんで居られる。 もとより法華の会座は尊い座であり、法華経の説法は釈尊出世の本懐とまでいわれている。 その法華の会座をさしおいて、釈尊は宿業に泣く一女性、愚痴の韋提華のもとに御ン自ら 足を運んでくださったのである。しかもここに釈尊をお迎えして、韋提華は愚痴のありっ たけを述べる。愚痴は怨みつらみとなってわが身のみならず他をも傷つける。ここにおい ては理論は間に合わない。理論が理論として正当に受け入れられないのである。この故に こそわれら凡愚の者はついに解脱できない。 今ここに韋提華の前に立たれた釈尊は、斯くある愚痴無智の者の為の法を説くべき機縁 に遇われて自ずと微笑せられたとある。「微笑の本懐」といわれ、浄土教の縁由をあらわす ものとせられ、ここに「如来興世の本意たる、弘願真宗」が説き出されたのであった。す なわち縷々(るる)として定・散二善を説きつつも、それはついに念仏一道を立てんがためのもの であり、いづれの行も及びがたき身と知らしめんがためであったのである。 今日「現代の聖典」として「観経(序分)」が特に用いられ、浄教興由の因縁として丁寧 に扱かわれていることは、本願のみ教えが縁によって具体的な救いとなって人問えのつな がり、私えの働きかけをとくといただくようにとのご親切からであろう。 韋提華は釈尊の御説法を承わりつつ自身の相に眼を開いてついに「下下品の機」たるこ とを自覚し、念仏を頂戴することによって、自身を超えた自身になった。 人間はひとたび念仏に遇えば喜んで苦労のできる身となる。仏法を聞いて安心したいと か、何か安心のできるものを一つ持ちだいとかいうのではなく、もう安心などというもの もいらなくなる。それが救いである。さきに述べた韋提華の場合、苦悩から脱がれるので なく、苦悩を素直に受取って、しかも苦悩を超えしめられたのである。念仏・如来の本願に よってはじめて女人の身のまま安じていかれたのである。 韋提華夫人の愚痴が釈尊をして弥陀の本願を説き出さしめ申す機縁となった。われら凡 夫の宿業が浄土の因縁となり、われらの煩悩が転じて法の材料となる。転悪成善と承わる がごとく、私の煩悩がそのまま私をして念仏せしめるものであり、私のまわり・一切のもの が私を教えに導く大事な因縁なのである。「人生待ったなし」であり、また「人生すべて無 駄なし」であるが、その「無駄なし」と、一切のものが生きてくることを「転」という。 女人が女人でなくなるのではない。女人は女人のままに女人を超える。女人であること がいっこう差支えない。凡夫が凡夫であるがままに落着かさせていただくのと同様にであ る。
救いとは何かをつかんで助かることではない。
法を求められるようになったことが救い である。
仏法が願われる身になった。それが救いである。それすら自身の発起するところ ではなくして、本願念仏のなかに「求道」も賜わるものなのである。
「女人成仏」というテーマのもとに考えてきたことであるが正しくは「女人往生」と申さ ねばならないのではあるまいか。
宿因深厚にしてかかる法(みのり)に遇いまらせたことを、唯々有難く思わせていただくのみであ る。 (1972・10・10)(ブラジル開教団婦人部機関紙『同朋婦人』に連載)2006年8月9日