阿弥陀佛ひかりといのちかぎりなし

法語カレンダー領解(1) 昭和52年度

「いのちを大切に」とは誰しもの願いである。しかし「大切」さの内用を深く考えていな いようである。 なにかしら追われているような気忙しさと求めても求めても求め得ないもどかしさに心 をさいなまれつつ過ごしている毎日である。 人情のうすれゆく世相を嘆きつつも他人さまのお世話は真ッ平ご免と、自分だけの楽し みを思い、いつしか孤独に追い込まれている。心と心のふれ合いを大切にして、人間関係 の煩わしさに苦しみながらも人間同志の交流を大事にして、人情ゆたかに互いに生かされ 合うて来た昔の生活からすれば、現代はいのちのひびぎ合いを失ったといわねばならない。 いかに長生きしたとて、人間のいのちにめざめることなくしてば真に生きているとはいえ ない。勿論いのちは説明でわかるものではない。それは教えに遇うことによって、わが身 の深い願いにめざめていくことである。 いのちの大切さにめざめていく歩みが仏(無量寿)に帰ることであり、めざめさせて下 さる働きが仏の御ン働きである。 人はみな誰しも自分が可愛い。だからこそ一所懸命つとめて自分を大切にしてきたつも りである。けれどもわが生活の内容をみつめてみるとき、一番大事なことを見失っている ことが知らされる。 このことを知らしめようとて仏は立上って下さり、呼びかけたもう。 一日一日のくらしの中に無量寿の呼びかけを聞いてゆける生活でありたいものである。 (昭和52年2月)

2006年8月11日