報恩講
・・・子どもごころに残る思出・・・
報恩講 ・・・子どもごころに残る思出・・・ 海が毎日のように荒天て、暖国の島にも寒さがやってくる頃、報恩講がつとめられる。 私の育った寺は、十二月の月末に決っていたので、お正月を迎える喜びにさきがけて、こ の報恩講を迎えるたのしさがあった。「報恩講」をもって、一年の区切りと考える気持ちはこ こから養われたようである。 寺に出入りする人の数が、にわかに多くなって、囲炉裏には終日薪がくべられ薬罐は勢い よく湯気を吹きあげていた。井戸端では朝早くから洗いものをするおばさんたちの声で賑 わい、庭にはデンと臼が据えられて餅米が蒸しあがるのを待っている。お華束のお餅つき である。報恩講お待受け準備の中でも、このお餅つきの日がクライマックスである。お盛り 上げのときには、すすんでお手伝いに加わったものであるが、それは後でお盛り残しをみ んなして焼いて頂くことの方に狙いがあったわけである。 このお寺では、昔ながらに勤行のうちに蝋燭の芯を切る切燭の作法が行なわれていて、 それに奉仕するのは、小学校高学年の男の子に決まっていて、これに任ぜられることはたい へん名誉なこととされていた。これに奉仕した思出を持つ人は、大人になった今日でもめ いめいに感慨ふかいものがあることであろう。 お斎の日には、まず第一の席に、村長さんが、役場の職員のみなさんとともにお膳に着くと いうのも、この村の長いしきたりとして行なわれていた。 最後の精進揚げの行事まで、前後十日間にわたる日数であったが、この間、村をあげて報恩 講の雰囲気に満ちみちていたものである。 開教使としてブラジルに赴くために、私がこのお寺をおいとましてから早二十年過ぎた いま、この村で、この寺で、今年の報恩講はどのように営まれていることであろうか。 (昭和51年12月)2006年8月17日